【ネタバレ感想】『亜人』映画と原作コミックの違いを解説
※ネタバレあり※
人気コミックを実写化
桜井画門原作のコミックをもとにした実写化映画です。コミック原作の映画はもはや邦画の定番に定番になってきている気がします。
そういった作品は根強い原作ファンがいたり、やはりどうしても原作との差異が出てしまい、賛否両論になりやすいので評価が難しいですね。
かくいう私も原作コミックの『亜人』が好きだったので、今作ではそれがどのように再現されているのか気になっていました。
原作コミックとの比較もしながら、映画を見た率直な感想を書いていきたいと思います。
亜人とは何か
この3つが亜人の主な特徴です。
映画では、自らが亜人であることを知った永井圭(佐藤健)と、国内初の亜人である佐藤(綾野剛)らの戦いが中心に描かれています。
アクションに全振り
今作はとにかくアクションシーンに力が入っていましたね。頭脳戦や心理戦の要素も織り交ぜながら、スタイリッシュな攻防が展開されます。
アクションシーンで流れるダンス系のミュージックとの相性が良かったです。よりクールな演出になっていて見応えがありました。
そして亜人の「死なない」という特徴を最大限活かした戦い方が見ていて面白かったですね。大怪我をしても1度死ねば完全な状態で復活することができるので、自らの頭を銃で打ち抜いてリセットしまくります。
原作から純粋なアクションの要素を抽出して、コンパクトにまとめられている印象でした。その反面、ストーリー展開が少し雑になっていたり、登場人物の心理描写などはかなり少なくなっていました。そこは最初から割り切って作られたのかなと思います。
個人的にはもう少しキャラの内面を掘り下げて欲しかったですが。
原作漫画との違いは?
キャラ設定
- 永井圭
映画では研修医として働いていましたが、原作では高校生の設定です。
原作では佐藤や周囲の人々との関わりを通じて、永井の内面的成長が丁寧に描かれています。しかし映画だと単に「合理的な性格」となっていましたね。ここは原作も同じで、最初は感情移入しにくいキャラでした(笑)。
- 佐藤
彼に関してはキャラ設定が映画と原作では全く異なります。映画では日本初の亜人で、政府によって人体実験をされたために人間を憎んでいる、という設定になっています。
しかし原作の佐藤は元軍人のアジア系アメリカ人で、本名はサミュエル・オーウェンです。そして正真正銘根っからのサイコパスです。
人の命をなんとも思っておらず、自らが亜人であることを知った佐藤はゲーム感覚でテロを起こすようになります。
映画には登場しないキャラ
原作だけに登場する重要人物を一部紹介します。
- 海斗
永井の幼馴染です。めちゃくちゃ良いヤツで、永井の逃走を助けたり大活躍しますが、映画には一切登場しません。
- 中野攻
永井サイドにいる亜人です。永井とは対照的なアツイ性格で、フォージビルでの攻防でも活躍し、原作では主役級の扱いをされていました。
- オグラ・イクヤ博士
亜人研究の第一人者。亜人の性質について彼が分かりやすく解説してくれます。映画では彼に当たるようなキャラがいなかったので、亜人の特徴に関する細かい説明などはされていませんでしたね。
- 永井の母親
「永井圭」という人間を知る上で非常に重要な人物だと思うので、個人的には映画にも登場させて欲しかったですね。
亜人の死の定義
映画ではこの話題は出てきませんでしたが、原作ではたびたび語られているものです。
基本的に亜人は不死身ですが、「断頭」されると亜人は死んでしまいます。「なんだその矛盾は」と思いますが、これは少し哲学的な話なんですよね。
亜人が生き返るとき、遠くに行き過ぎた部位は回収されずに新たに作られます。もしそれが頭部だった場合はどうなるか。
切り落とされた頭部に残っている意識が本当の自分で、新しい頭は自分ではないのです。記憶などは引き継がれるため人格の連続性は保たれますが、切り落とされた頭部から新しい頭に意識が移るわけではありません。
本人からすると断頭された時点で自らの人生は終わりです。これが「亜人の死の定義」です。原作では「中村慎也事件」のケースがこれに当たりますね。
映画でも佐藤の転送シーンがありましたが、佐藤が全身粉々になってしまったため、肉体が再生される際に頭部も新しく作られています。つまりあの時点で今までの佐藤は死に、新しく生まれ変わった佐藤が復活しているのです。
中身は同じですが、実際は別人です。
書いていて私も少し混乱してきましたが、とにかく亜人も死ぬときは死にます。
まとめ
原作とは異なる部分も多くありますが、アクション映画としては非常に面白かったです!テンポも良くて楽しめました。
原作では黒い幽霊に関する細かい設定などもあるので、より深読みができたりします。
気になった方はチェックしてみてください!